2011年11月24日
Spontaneous overflow of...
Hello, dear friends,
It's Rei, again....
こんにちはReiです。
今回は短いspanで更新です。
Blog読んでくださってる方が
どのくらいいるのかわからないけど。
今日のテーマはタイトルどおり。
「自然にあふれ出てくるもの」。
毎日の暮らしの中で些細な出来事に
イライラしたり、怒ったり・・・
っていう経験、あると思います。
感動的な映画を見て涙したり、
吉本新喜劇みて大笑いしたり。
でもそれは
「自然にあふれ出てくる」感情じゃないです。
え?
っと思うかもしれないけれど
そうゆうものは
外からの刺激に対する反応にすぎません。
熱いもの触った時、手を引っ込めるような、
または
背後から「わっ」と大声かけられて
不意に背中が丸くなるような、
そういう「刺激反応」と同じです。
刺激反応がおきるのは
私たちに「五感」があるからです。
そう。
見る、匂う、触る、味わう、聞くという能力。
今回熊本のretreat(リトリート=合宿)で
reiが経験したのは「刺激反応」じゃない、
「五感」を超えたところでの
まさに湧き上がってくる感情です。
みんなが寝静まってる時間に起きだして、
ふと、阿蘇の山々の朝の冷たい空気の中に、
たった一人、身を置いてみたんです。
(たぶん何時間も・・・)
そうしていつの間にか五感を忘れて
「いま、こここにいる」が深まっていくと、
胸の奥からやわらかくあたたかい「なにか」が
溢れてきたのを体感しました。
波のように何度も。繰り返し。
Here and Now(いま、ここ)っていう強い感覚。
それこそが「時間」の正体です。
「過去」とか「未来」というときの
「時間」は人が脳で作る「概念」です。
つまり脳の記憶力や想像力をつかって作るイメージ。
記憶力、想像力、どっちにも「力」がついてます。
英語ではforce、無理強いするもの。
(powerの訳は「力」じゃない、ってreiは思う)
forcedの反対語がspontaneousです。
今目の前に流れている時間こそが
とまることを知らない確実な「真実」です。
それはspontaneousそのもの。
時間は誰にも平等。
世界の偉人も、犯罪に手を染めてしまう人も、
みんな一日24時間だけを与えられてる。
世界広しといえど、誰一人として
「時間」をとめることができるひとはいない。
そして誰一人として、
自分の時間がいつ終わるのか、
つまり自分がいつ死ぬのかさえ知らない。
なのにヒトはこの事実を受け入れられず、
瞑想の姿勢で目を閉じても
頭の中(脳)で
取り戻せない過去のことを思い返したり、
瞑想がすんだら何をしようかと
未来を期待して考えたりする。
マットの上でアサナ(ポーズ)をとってると
過去と未来の束縛からはなれて
いま、ここ、の自分の体に集中しているのを
感じるはずです。
ヨガの修練(実践=practice)のうち、
瞑想が一番難しいというのはそういう理解です。
よりよい瞑想がしたくて、
ヨガのアサナはできたのです。
さあ、皆さん、アサナです!
いま、ここ、を強烈に感じるために。
流れる時間を味わうために。
いま、ここに、生きている、を
本当の意味で感謝するために。
See you on the mat, everyone !
It's Rei, again....
こんにちはReiです。
今回は短いspanで更新です。
Blog読んでくださってる方が
どのくらいいるのかわからないけど。
今日のテーマはタイトルどおり。
「自然にあふれ出てくるもの」。
毎日の暮らしの中で些細な出来事に
イライラしたり、怒ったり・・・
っていう経験、あると思います。
感動的な映画を見て涙したり、
吉本新喜劇みて大笑いしたり。
でもそれは
「自然にあふれ出てくる」感情じゃないです。
え?
っと思うかもしれないけれど
そうゆうものは
外からの刺激に対する反応にすぎません。
熱いもの触った時、手を引っ込めるような、
または
背後から「わっ」と大声かけられて
不意に背中が丸くなるような、
そういう「刺激反応」と同じです。
刺激反応がおきるのは
私たちに「五感」があるからです。
そう。
見る、匂う、触る、味わう、聞くという能力。
今回熊本のretreat(リトリート=合宿)で
reiが経験したのは「刺激反応」じゃない、
「五感」を超えたところでの
まさに湧き上がってくる感情です。
みんなが寝静まってる時間に起きだして、
ふと、阿蘇の山々の朝の冷たい空気の中に、
たった一人、身を置いてみたんです。
(たぶん何時間も・・・)
そうしていつの間にか五感を忘れて
「いま、こここにいる」が深まっていくと、
胸の奥からやわらかくあたたかい「なにか」が
溢れてきたのを体感しました。
波のように何度も。繰り返し。
Here and Now(いま、ここ)っていう強い感覚。
それこそが「時間」の正体です。
「過去」とか「未来」というときの
「時間」は人が脳で作る「概念」です。
つまり脳の記憶力や想像力をつかって作るイメージ。
記憶力、想像力、どっちにも「力」がついてます。
英語ではforce、無理強いするもの。
(powerの訳は「力」じゃない、ってreiは思う)
forcedの反対語がspontaneousです。
今目の前に流れている時間こそが
とまることを知らない確実な「真実」です。
それはspontaneousそのもの。
時間は誰にも平等。
世界の偉人も、犯罪に手を染めてしまう人も、
みんな一日24時間だけを与えられてる。
世界広しといえど、誰一人として
「時間」をとめることができるひとはいない。
そして誰一人として、
自分の時間がいつ終わるのか、
つまり自分がいつ死ぬのかさえ知らない。
なのにヒトはこの事実を受け入れられず、
瞑想の姿勢で目を閉じても
頭の中(脳)で
取り戻せない過去のことを思い返したり、
瞑想がすんだら何をしようかと
未来を期待して考えたりする。
マットの上でアサナ(ポーズ)をとってると
過去と未来の束縛からはなれて
いま、ここ、の自分の体に集中しているのを
感じるはずです。
ヨガの修練(実践=practice)のうち、
瞑想が一番難しいというのはそういう理解です。
よりよい瞑想がしたくて、
ヨガのアサナはできたのです。
さあ、皆さん、アサナです!
いま、ここ、を強烈に感じるために。
流れる時間を味わうために。
いま、ここに、生きている、を
本当の意味で感謝するために。
See you on the mat, everyone !
Posted by B.Y. at
09:17
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